本格的な春の来る前に、73.黒いフェルトワンピースを着ておきたい。昨日のタイトスカートを下に仕込んで、オーガンジーをのぞかせた。
北風吹き荒れる日のピーコートも、白のフェルト素材だ。
コートがぶかっとしているとき、ストンとしたワンピとブーツの黒セットは便利だ。
砂の嵐(一)
ジィが私の太ももに手をかけたとき、(しまった)とうろたえ、めくり上げられたスカートの中の地味な色合いの布を己の目で確認すると、言い訳めいたことを口にした。
あれがジィとの最後の会話だった。
「今朝、バタバタしてて履き替えるの、忘れちゃったわ」
「女の人って1日に履き替えるの?」
女のことなら大抵わかっていそうなジィが、「女の人って」と言うのは珍しい。情事の前には、どの女でもそうするものだと私は信じて疑わなかった。
ことが終わってテーブルに積まれた服を順に身に付けると、裸足のままショーツを探す。トイレまでの狭い通路に私のココア色のショーツが落ちていた。奥でジィがシャワーを使う音が聞こえる。
(こんなの履いて来やがって……)というジィ特有のユーモアと無言の抵抗なのだろう。私は苦笑しながら、生活感にまみれた下着を指でつまみ上げた途端に悟った。これは私の姿なのだ、と。
後日、ジィのメールに「仕事いっぱい入れられた。ごめん、もう遭えないかも」とあった。
黙っていたが以前、一緒に移動中に、射るような男の視線があった。大柄なスーツ姿の男は眉をひそめたり緩めたりしながら、小さなジィを首を傾げて見おろしていた。同じビルの社員の目についたのかも知れない。
仏のジィが音を上げて、私に謝ってきたのだと思った。自分は狡い女で、溺れるのが怖くて飲み会を挟んだこともあった。クールダウンどころか卑猥な遊戯になってしまい、まったくの逆効果だった。
冬の間、夫のミミズ腫れの背中にウレパールローションを塗り込みながら、私の指先は痒みを訴えた。
まだまだ、あの水蜜桃のような指と肌の温もりを失うのは惜しい。心の隅でのらりくらり交わしながら、潮時をジィにまかせていた気がする。私たちはお姫さまと王子さまではなく、安宿で不倫に興じただけだ。