最近、パステルカラー×パステルカラーではなく、白×紺のマリンにパキッとした赤を差すディスプレーを街で見かける。
雨の休日、まだコットンタイツとダブルモンクストラップシューズが欠かせない。赤はネックレスのような小さな面積で取り入れる。
セールで何も買わない代わりに美味しいお寿司を…と降りたデパ地下で、税理士の奥さんと遭遇。面白すぎる奥さんの長話に、パック寿司とビスケットをつまみながら付き合う。
この前、エスモード出の娘さんが「ロンドンの3枚組CDを貸して欲しい」というので、女性ボーカルも適当に見繕って届けた。
トレーシー・ウルマン、ストロベリー・スウィッチブレイド、マリ・ウィルソン、エミリー・シモン。
オフホワイトや淡いピンクのローンブラウスの下は、黒よりミントグリーンのコットンキャミが自然。
暗黒王子 (五)
藤井麻輝率いる謎のユニットの演奏が始まると金切り声と轟音のループに、女性のフロア退出者が続出した。
客に混じって演奏に見入るカズヤを見ているうちに、ちょうどあの当時のH君たちバンドメンバーと同い年なのだ、ということに気付いた。
ロック難聴の危機にさらされて避難しながら階段を上り、踊り場でうずくまるうちに睡魔が押し寄せる。仮眠中にようやく記憶に追いついた。
16年前、パソコンで地道なタグ打ちに慣れるべく、手持ちのUK音楽のCDレビュー100を載せるウェブサイトを立ち上げた。誰もがまだデカデカとトップページに、ここは○○のホームページです…と、掲げていた良い時代だ。
同好の志を探す為、ニューウェイブやダークウェイブで検索したらギタリストHのバンドがヒットした。
社会人バンドの彼らは本業が忙しく、まだインディーズという括りにすら属していなかった。
臆することなく主婦がメールでバンドマンにコンタクトをとれたのは、Hの稚拙なウェブデザインが私といい勝負だったからだ。
そのうちHがライブのチケットを送ってくれて、家族旅行先でボーカルKを含む4人メンバーと対面した。ゴールデンウィークで動員数60はあったかも知れない。
そこからビデオレターならぬミュージックビデオ交換会が始まった。まだビデオテープが高価で、消しては録り消しては録り…の繰り返しだった。
「80年代がリアルタイムだったから、若いお二人の前では生き字引みたいで嫌だけど、やりがいがあるわ」と私が言えば、
「僕らで出来ることといえばダビングくらいです」と答える。
フロントマンのKとHは、「あれも観てみたい、これも持ってない」という私の要望に応えるため、まずはパソコンで所有ビデオリストを作った。僕らはビデオデッキ編集で初めて互いの部屋を行き来するようになった…と、Hの手紙に書き添えてあった。そこまで近しい間柄ではなかったらしい。
バンド内がギクシャクしたのは遠征の手始め……県外のハコを回る手立てを誰も持たず、ブッキングからレンタカー手配までひとり気を揉むHが、憤りを吐露し始めた頃だった。
「みんなホントにやる気あるのかな」
しかしそこは20代の青年のこと、いざ動き始めたら全員、知らない街をあてどなくさすらいながらもイキイキとライブをこなしたと聞く。