いつもどおりに遅れて来た彼は、俯いたまま隣で一息つく。そして彼の鼻先でヒラヒラとかざした私の左手に気づくと、首を傾げてアリスのチャシャ猫みたいに、にたーっとした。普通にしていればここの誰よりも素敵なのに、醜いものを見せられて損した気分だ。暗がりで白椿みたいな頬が浮かび上がるのは、頬骨の高いせいかと思う。
第一の女に話しかけられれば談笑して、女が背を向けた途端、うへぇ…という顔で首をすくめて華奢な上半身を捻り、第二の女を避ける為に地上に出る。ナーヴァスな若者特有の照れか、単に偏屈なのか、目の前でその光景に出くわすのは一度や二度ではなかった。
壁にもたれて雰囲気のある美人と話す彼は「またね」と会釈する私に、話しかけた。
「大学のお近くでしたよね。これでもちゃんと4年で卒業してるんです」
「ほら、やっぱり頭いいのよ」
話の腰を折らない美人は女の鑑だ。
「なぜか家族の中で、僕だけ背が高いし」
「先月、ご両親をお見受けしたよ」と私が言うと、おおっと口を開いて続けた。
「聞いて下さいよ、この人、僕に"幸せになりたいなら彼女作れ"っていうんです」
彼はぼやきながら顔を背け、いらねぇとつぶやいた。彼女イコール幸せという短絡的思考回路に同調出来ず、言葉の裏に(だから私にしておきなさいよ)という女の意図が透けて見えて、このテの話に加わることの危険を察知した。
どうせ私達の知り得ぬところで幸せな日々を営んでいる事だろうし、真に受けはしない。
「そうねぇ、もう少し皆のものでいて欲しい気がするわ」
「そう、そうですよね」
彼がしゃきっとし出すと、彼女が眉をひそめた。
「ただし年内まで、ね………お姉さんですか?」
ふいに口をついて出た言葉に、彼と美人ははたと顔を見合わせる。身支度を整え「お綺麗だから…さよなら」と頭を下げると、「綺麗…」と彼がつぶやいた。
厳寒の晩、彼はコートのポケットに手を突っ込んだままでいる。今年はマルコリーニいくつもらった?と訊いてみたいが、みっともないのでやめた。遠目にみるぶんには好きだけど、末端肥大の手指や顎が怖い。
生前の舅が諭すように言った。「苦労してるようだね。昔の百姓が子だくさんなのは、鍬やまんのうを持つ手でわかるものさ。手が小さくて、顎が女のように未形成ならば他の尖端も小さいだろうし、ペニスだって小さい。もっとも、女系家族のあんたはそれが良くって結婚したんだろうが…」
嵩を減らした包みを渡し終えると気が緩み、空の紙コップ片手に2杯目のジュースを求めてのろのろ進んだ。途中、ボードに突っかかり配布物を蹴散らしかねなかった足元に、男女の視線が集中するのがわかった。
部屋の隅で若い女性と談笑する彼は、前を横切る私と目が合い、にたーっとした。きゅううと身がすくんだ。長身でこの位置から視界を遮るものはない。
大粒の瞳がくるくると動く女性の笑い声が宙を舞う度、その耳元でピアスが揺れる。狡くもなく、さりとて愚鈍でもなく…俯かせる要素がない。私の勘は研ぎすまされて、そうだよと胸をなで下ろした。
caterpillar
(了)